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2009年6月 3日 (水)

半身浴

上海では、いつもは、深更に起き出して本を読み、原稿を書いていた。日本では、ほぼ毎日、飲み歩いていただけで、上海に戻って仕事をするのが楽しみだった。何しろ、34週間で、3冊の翻訳の校正をしたのだから。雑用が雨アラレと降り注ぐ日本では絶対に無理だ。

しかし、夜半に目覚めるも、起きず。

朝、起き出して、シーゲルの『株式投資 第4版』のゲラに赤を入れる。

赤字を入れながら、修士のときに私が授業を受けていた若い先生が「株価は金利で決まる」と言って、私を小馬鹿にしたのを思い出す。この本を読んでほしいと、ふと思う。そういえば、第3版の監訳者あとがきで、マルキールを扱き下ろしたことを思い出す(これまた、そういえばだが、織田作のペンネームだかに、古木オロシだとか言うのがあったな。いやいや、秋田実かな。。。おっと、そういう個人的な思い出はともかく、これは、本当にいい本です。ぜひ、読んでほしいと思います)

ゲラの赤入れは、実は、半身浴をしながらの作業だ。昔から、日中に半身浴する身分になりたいと思っていたが、やっと、上海に来てそれが実現した。2時間ほど、1つの章を持ち込んで、時計を見ながら校正するわけだ。至福のときでもあり、多いときは午前と午後の2回、浴していた。

ひとつは、中国に来てブタになるのを防ぐために考えついたことだ。

その影響か、最近、肌がすべすべしている。自分で書くのも気持ちが悪いが……。

もっとも、この話は編集者には話していない。だって、中年のおっさんが朝から半身浴しながら、ゲラに赤を入れているとは、口が裂けても言えまい。蒸気だか汗だかの水滴で、ゲラの赤が滲み、紙も、後々乾燥させたとしても、ふやけた痕跡は残る。妙齢の女性がそうしたのなら、プレミアムものかもしれないが、自分で書くのも情けないが……紛うかたなき、中年のおっさんである。

Nさん、Kさん、ごめんなさい。

日誌を書いて公開するということは、懺悔の連続ということだと気づく。

院生からのメールの宛名が、Lin だった。なんということもなけれど。

2009年6月 2日 (火)

休講

昼は、黄先生と院生とで食事。黄先生が修士課程高の口頭試問らしく、午後は休講とのこと。私が黄先生の時間も話をすることになった。食事中、W君が私にビールをついてくれるのだが、最後には、黄先生から止められていた。林先生は、これから授業なのだから、もうやめなさい、と。

結局、昨日の失敗談はせず仕舞い。

授業は、模擬取引の上級バージョン。解説も終わって、院生と話し込む。院生といっても、二人は大学の先生で、博士の学位を取りに来ているし、一人はニュージーランド国籍のビジネスマン、等々、多彩な顔ぶれだ。

そのまま、晩御飯という仕儀になる。宿舎のレストランに場所を移して、話は続く。

そこでは様々な話しが出た。ニュージーランドなどの国籍の話、私が見たアパルトヘイト、ソマリアの人民服の団体。あるいは、簡体字の改正の話。地域通貨、金利、エンデ……。データの取り方、論文の書き方、研究助成について。

インフルエンザの話では、山東省で感染者が出たとき、同じ列車に乗り合わせた人は誰一人として隔離されず、国民は政府に疑いを持っていて、多くの予算を使って、同じ列車に乗り合わせ人を探し出そうとしたこと。また、ある列車に乗ろうという男が、自分はその列車に乗っていたと警官に告げたため、400人だかが拘束され、医師ら100人も動員されて、大騒ぎになったという話。推定される死亡率からして、騒ぎすぎだ、また、日本では厚生労働大臣のパフォーマンスがすぎたと省内からも批判が出ていたこと、等々の話となる。

9月に内蒙古に集中講義に行くことを約束する。

2009年6月 1日 (月)

出国

本日、あわただしく荷物をパッキングして、出立。後で気づいたが、バタバタしていて、案の定、いろいろと上海に持っていくべき書籍や文献、CDを置き忘れてきていた。

飛行機は、羽田から虹橋空港、国際線も少ないから通関も楽だし、都心から都心への便はやはり便利で、降りてからの移動も楽だ。

機内では、ヤッターマンを観る。観たいと思っていた映画だ。観想を一言でいうなら、深田恭子のためにあるような映画だった。監督は、深田恭子の魅力を引き出すことが一義であって、それ以外の目的は二の次としか考えていない節がある。下世話な言い方をするなら、深田恭子という女優に惚れているな、と感じた。深田恭子は演技が下手という評も根強いが、私はそうは思わない。下妻物語の演技は、深田恭子でなくてはなしえなかったのではないかと思う。それでも、下妻は、まだ、他の女優を起用する途はあるような気はするが、ヤッターマンに関しては、それも考えられない。

先日、ある雑誌に新型インフルエンザについて書いた。雑誌はまだ出ていないが、その話はNHKラジオでもしゃべったので、聞かれた方も多いかもしれない。そこには、こう書いた。

まず、身近なトピックというと、新型インフルエンザだろう。実は、私も少なからず影響を受けた。感染したというのではない。5月に大阪大学で私がゲストとして講義する予定だったのだが、中国で感染者が出たので、休講になったのである」

と。今回は、それどころではない。

なんと、空港で、留め置かれたのである。

飛行機の中に、白装束の検査官が多数乗り込んできて、おでこにスピードガンのような、ポインターのような光線を当てられた。

飛行機から降りると、検査は混雑していて、いつもはガラガラの到着ビルのエスカレーターも停止していて、行列ができていた。

私の番になると、何やら調査票にメモ書きされて、係官から、「こっちこっち」と誘導されて、列から離脱。医務室のようなところに連れて行かれた。

日本人の母子連れと、男が三人。体温計を渡されて、測定せよという。問わず語りに、男ら(当然、私も含む)からボヤッキー(ぼやき)が漏れる。「酒を飲まなければよかった」と。

私も同じ。中年のアテンダントから、「お代わりはいかがですか」といわれ、何年か前に機内でアテンダントに「お客様、赤いですよ」と言われて赤面した恥ずかしい記憶はあるが、お代わりを勧めるとは、珍しいこともあるものだわいと思い、ついつい、お代わりをしたのが祟ったのである。思えば、悪魔のささやきだった。人間は現金なもので、失敗は他人のせいだと思うようになっている。あのアテンダントは、私が検疫で引っかかるのを知りつつ勧めたのではないかとさえ思える。

間抜けの村の三人男、酒気のせいだろう、蚊が寄ってくるのをけだるそうに追っている。

しかし、酒のせいではなく、本当に、新型のインフルエンザだったりしたら、と考えると、想像はふくらみ、新聞に、「日本人教授、無謀にも上海入りを企てる」と、さも確信しての入国であるかのように書き立てられるのではないかと思ったりする。上海を出て関空に着いて、関西に滞在して、帰京したのだ。疑えばきりはない。過去一週間の滞在地を聞かれて、しどろもどろになりながら(なる必要もないのだけれど)、「東京だけだ」とやっとのことで答える。席が出そうになるのも唾を飲んで我慢した。

母子連れの子供は、四歳児程度だろうか、医師の白衣に怯え、固くなっていて元気がない。部屋から出てきて母親に、「なぜ、元気がないの?と聞かれて、いつものように元気よく、返事しないのよ」と怒られている。おいおい、気持ちはわかるけど、それは無理というものよ、と思う。私でさえ、多少は、緊張したのだから。

私は、二度、体温計をあてがわれ、無罪放免。しかし、無罪放免という表現がぴったりするような感覚に襲われていた。冤罪の被害にあったような気もする。検疫のところの蚊も追えない国の癖に……と、これはほぼ難癖というものだろう。

しかし、浦東とは違って、国際空港としての機能が不十分なのだろう、検疫の設備も整っておらず、体温でのみの検査をおこなっているのだと申し訳なさそうに説明してくれた。赤ら顔の三人は、無言で苦笑するのみ。私も体温が上がっているのを自ら感じていた。

さすがに、通関は、代行して終わっていた。

今回も多くの書籍を持ち込んだので、荷物が非常に多く、知人にお迎えを依頼していたものだから、それも気がかりだった。待ってくれていた人も、心配だったと思う。

たぶん、インフルエンザの検査で引っかかったのだとは思いつつも、荷物で引っかかったのではないかとも考えたに違いない。何しろ、大量の書籍を持ち込んでいる。思想犯と間違われる可能性もなくはない。

悪いことに、中国の携帯は、料金のストックが切れていてつながらない。

やっとの思いで外に出ると、ZさんとPさんが心配顔して待っていてくれた。Zさん、Pさん、ごめんなさい。

銀行に行って、円を元に換え、携帯にお金をチャージして、二週間ぶりの我が家に帰宅。

2009年3月31日 (火)

新刊紹介

<新刊紹介>

田村正之著

『世界金融危機でわかった! しぶとい分散投資術』

日本経済新聞出版社 1575円(税込み)

本書は、「普通の人」が着実な資産形成を考えるうえでの貴重な情報が記載されたテキストと言ってよいだろう。

例えば1929年の米大恐慌時、株価が戻るには25年もかかった。しかし株と債券に分散投資し、配当をきちんと複利で運用しながらドルコスト平均法で買い続けていけば、大暴落前のピーク時に投資を始めてもわずか3年9か月後には損益がプラスに転じていたことが示されている。

この辺のところは、シーゲルの『株式投資』なども是非、あわせて読んでほしいところだ。

さて、今回の金融危機でも株価低迷が長期化するのを恐れて投資に踏み切れないでいる人が多いが、やり方次第で「百年の危機」が「百年のチャンス」に変わる。

その他も、ETFのメリットとデメリット、株価指標の使い方、外貨投資やREIT投資の考え方などの解説は、従来の投資本の通りいっぺんの説明にとどまらず、わかりやすい。

あくまで投資家サイドに立って書かれ(著者は、生活経済部、つまり、消費者・投資家再度の目で記事を書くセクションのジャーナリストである)、しかも筆者は小説家でもあるので、文章はすいすい読める。

 巷に「これで資産を何倍にもできる!」などというタイトルの「トンデモ本」があふれる中で、良心的なお金の教科書と言えよう。

2009年3月30日 (月)

東宝興路の駅の近辺

東宝興路の駅の近辺は、露天の市場になっていて、生きている川魚の隣にはデカイ蛙が当然、これも生きたまま売られている。

人民広場に出るために地下鉄に乗った。上海駅で乗り換えようとしたが、いったん改札を出ないといけないという。中山公園なら、乗り換え可能らしい。交通システムとしては、よくないが、他国のことだし、仕方あるまい。今後、注意することにしよう。

街には、来年の5月から開催される上海万博のポスターを多く見かけるが、日本館のものはまだ見かけていない。中国館は「東方の冠」と呼ばれ、かつての中国の皇帝の冠のような形をしている。既に外観はできつつあるらしい。近々、行ってみることにしよう。

そう言えば、大阪万博のときの中国館の記憶がない。中学生だった私は、大阪に住んでいて、当時からというか、もともと博覧強記で、十数回、吹田の会場に行った記憶がある。当時のガイドブックが自宅に残してあるはずだが、調べると、中華民国館というのがあり、中華人民共和国館というのはない。それはそうだと納得。ほぼ40年前だ。時代は変わる。

2009年3月29日 (日)

ホテル付近を散策

ホテル近くの虹口界隈を散策。俗に、日本租界と呼ばれたほど、かつては日本人が多く住んでいた一角。正しくは、アメリカ新租界だが、最多時は10万以上の日本人がいたらしい。今回の宿は、たまたまだが、魯迅故居にも近い。多倫路文化名人街という所を散策。魯迅の像などがある。内山書店の跡は、工商銀行になっていて、2階が展示室らしいが土曜日曜は休みとのこと。明日、来ることにしよう。

2009年3月28日 (土)

中国の抱える問題

中国の抱える問題点について、2003年の通商白書には以下が列挙されている。

     国営企業問題

     不良債権問題

     直接金融市場の未発達

     財政赤字

     地域格差

     デフレ

     人民元の自由化

これらの現状はどうか、考えてみる。(略。この話はいずれまたの機会に)

去年の暮のニュースでは、2000万人もの人が都市での仕事を失い農村に帰るといっていた。実は、帰っても耕すべき土地は、「3チャン」になって以来、他人に貸してしまっていたりする。大問題だとは言わないまでも、問題ではある。

午前、上海に隣接する太倉市の港湾の新市街の開発現場を見に行く。ランチの話題は、周小川人民銀行総裁の新基軸通貨論、また、太倉の開発。近々、上海からの地下鉄も延びてくるとか。Rさんは去年、東京に行ったとのことだが、地下鉄の発達に驚いたという。そういえば、つい最近まで、上海に地下鉄はなかった。地下鉄の発達が都市の効率性のバロメーターともいえるということを思い出した。

夕方、上海に戻り、私がはじめて論文の指導をしたZさんに会う。いま、杭州に住んでいて、会うのはほぼ1年ぶり。仕事が忙しいらしい。

2009年3月27日 (金)

上海二日目

夜、台湾と中国の町の印象、州民性(?)の違いについての話になった。私もPさんも、例えば、台北は10~15年ほど前の上海などの感じだということで一致。台湾の人は、おっとりしていて、普段は、声高に怒鳴りあうかのように話したりはしない。 その理由は、私見では、共産主義か否かではなく、文化大革命の呪縛だ(もちろん、台湾では日本の統治が半世紀に及んだということが最大の要因だろうが)。親兄弟すら信じられない時代は、焚書坑儒などの始皇帝の治世に匹敵する恐怖や不信感を人民に与えたのではないかと思う(上海に来る前に部屋を整理していたところ、読書ノートが出てきて、その最初に、文革についての本の感想が書いてあったのを発見。内容は覚えていないが、恐怖……と。。。)。 Pさんは、1992年の鄧小平の南巡講話以降、それが加速したのではないかという。拝金主義が、古き良き中国の伝統を壊したのだと。

2009年3月26日 (木)

上海にて

昨日、卒業式に出席。本日、上海行き。 華東師範大学金融統計学院に招かれて、1年間、行動経済学を教える予定。授業の準備はおろか、出立の準備も何もできておらず、スーツケースに本を詰め込んで、大慌てで出発。羽田~虹橋。浦東は、今、改装工事とかで混み合うらしい。 機内で、レッドクリフⅠを観る。中国に行くには、まず、三国志からというも悪くはない。先月、台湾に行った際に機内で見たのだが途中で終わってしまって、この上海行きで再チャレンジしたわけである。しかし、これまた、途中で着陸態勢に入って、最後まで観ることあたわず。周瑜だったか、藁は弱いが草鞋は強い、と話すが、アジアの国々もそうであるべきか。 なぜ、今回のサバティカルで行くのが中国なのか、と聞かれることが多い。 金融論の研究という意味では、たいていの研究者は、私がアメリカかロンドンに行くものだと思うようで、中国の金融を研究するというと、怪訝な顔をされるか、なかば皮肉からか、さすが林さんだ、といわれることもある。今回の中国行きの目的は、研究ばかりにあるのではなく、教鞭をとることにもある。国や民族の好き嫌いの問題もあろう。(略)それに、日中友好を図らなければ、日本の将来は暗いという打算もある。これは経済学の基本的な考え方だ。濃淡はあれ、経済学の視点に立てば、中国との関係を誤ることは、国家の存亡にかかわることでもある。(略)それはさておき、中国とは強固な絆を築かなければなるまい。その思いがあったので、上海で教えることにしたのだ。中国でも、石橋湛山をもう少し紹介もしたい。その理由は、たぶん、石橋湛山の考え方と同源だろう。 上海は、もう何度目かわからないほど訪れているが、今回は心構えが違うのだろう、少し気分が高揚しているようだ。 ホテルにチェックイン後、中国工商銀行に行き、通帳とカードを作ったが、パスポートだけで、その場で、カードまで受け取れたのには少し驚いた。 そういえば、学生時代、アンデスに探検に行くときに、キスリングに入れた小説は、織田作之助『夫婦善哉』・井上ひさし『青葉繁れる』・開高健『青い月曜日』・森敦『月山』の4冊だったこと、そして、その話を森さんに言ったら、笑いながら、ありがとうと言われたことなども思い出しました。 大学の業務、等々、日々追われていた仕事から離れて自分のための時間を持ちたいと考えている。 夏休みには、チベットや内モンゴル等にも行きたい。 中国では、読書と執筆に明け暮れたという生活を送りたいと思っている。 日経新聞の田村さんの新刊『しぶとい分散投資術』を読んだ。なかなかの良書であり、為替に関しては、意見の違いもあるのだが、おおむね、考え方は私に近い(下記の新刊紹介を参照ください)。 >中国の地誌や歴史や、また小説も、随分と買い込み、持ち込んだ。 石橋湛山の本も持ってきた。魯迅も読み直したい。私の小説の師である石濱(恒夫)さん(師と言いながら、さん付けは奇異に思われるかもしれないが、心の中でときどき稀に先生と呼ぶ以外は、たいていいつも、さん付けだ。川端康成に対する石濱さんがそうだったように)の選集を出す準備もしたい。先日、『ふぁざあぐうすの海』のあとがきに54歳とあるのを見つけ、ほとんど、私が当時の先生の年齢に近いと知って愕然とし、これは早くしないといけないと思った次第。『ぎやんぐ・ぼうえつと』『ジプシイ大学生』は、昔の雑誌の部分をコピーして持参。 開高健の『流亡記』は、昔、こんな小説が書きたいと思ったことがあって、中国に行くときは持っていこうと思っていた本。眉村卓の司政官シリーズも読み直すつもり。 上海にかかわった文人の本もいろいろと読みたい。例えば、芥川龍之介、横光利一。そうした随筆や小説もスーツケースに忍ばせた。 ホテルに戻って、ビールとお茶と水を買いに行く。ペットボトルの緑茶は、低糖とはいえ甘味がついていて、知ってはいたものの、うっかり、チェックをせずに買ってしまった。

上海に行ってきます

華東師範大学金融統計学院に招かれて、1年間、行動経済学を教える予定です。立正大学は、いわゆるサパテイィカルで、つまり、特別研究員<招聘研究員>という扱いで、授業は持ちません。暫く、お休みです。
華東師範大学では、すでに2007年から商学院の客員教授を務めています。今回、招聘の書類は、金融統計学院となっていて、商学院からの転籍なのかどうか、詳しいことはまだわかりません。兼務だとすると、1997年以降、大連の東北財経大学の客員教授・金融工程研究センター顧問にもなっていますから、中国で三ヵ所の客員ということになります。
本当は、もう少し早く行きたかったのですが、学部の運営委員なので、卒業式に欠席するわけにもいかず、翌日の出立になりました。
華東師範大学は、上海では、复旦大学などとともに重点大学の1つで、名称に師範という文言が入っていますが、総合大学です。都心にあるキャンパスは中国でも指折りの美しいキャンパスだといわれていますが、現在、この古くからのキャンパスでは授業は行われていないようで、私が行くのも少し郊外の新しいキャンパスです。
大学のキャンパス内のホテルに泊まって、研究室も用意してもらいました。
ときどきは日本に帰りますが、勉強、読書、執筆と、やりたいことは山ほどあります。
ブログもはじめたいと思っています。
「上海便り」「マーケット雑感」「林康史の投資塾」「大人になるために」といった4つのジャンルで、少しずつ書きたいと思っています。
論文も、本も、いろいろと書きたいテーマが山積みです。
中国に石橋湛山も紹介したいし、そのために中国語の選集も出したい。
魯迅も読み直したい。昔、中国で買い求めた魯迅の日文の随筆集も、今回、私と一緒に再び渡海することになります。
私の小説の師である石濱(恒夫)さんの選集を出す準備もしたいと思っています。先日、『ふぁざあぐうすの海』のあとがきに54歳とあるのを見つけ、ほとんど、私が当時の先生の年齢になったと知って愕然とし、これは早くしないといけないと思ったのです。『ぎやんぐ・ぼうえつと』『ジプシイ大学生』は、昔の雑誌をコピーしました。田中英光の『わが水滸伝』『我が西遊記』もスーツケースに入れました。そう、開高健の『流亡記』は、昔、こんな小説が書きたいと思ったことがあって、中国に行くときは持っていこうと思っていた本ですが、それも入れたし、眉村卓の司政官シリーズも読み直すつもり。芥川の随筆も忍ばせました。
中国の地誌や歴史や、また小説も、随分と買い込みました。
そういえば、学生時代、アンデスに探検に行くときに、キスリングに入れた小説は、『夫婦善哉』『青葉繁れる』『青い月曜日』『月山』の4冊だったこと、そして、その話を森さんに言ったら、笑いながら、ありがとうと言われたことなども思い出しました。
大学の業務、等々、日々追われていた仕事から離れて自分のための時間を持ちたいと考えています。
夏休みには、チベット等にも行きたいし。
3月26日に出立です。